ストレスの一位は「仕事の外」だった――14か国76名が答えたWell-beingの内訳
2026.10.13 / Donut Service
会社の人は良い人ばかりで、待遇にも不満はない。それでも、なぜか消耗している。──この感覚をどこに置けばいいのか、長いあいだ分かりませんでした。職場に文句がないのだから自分の問題だろう、と片づけるしかなかったからです。
2025年にプレプリントが公開された混合研究法の調査は、この感覚に居場所を与えてくれます。ソフトウェアエンジニアのWell-beingを脅かす要因として最も多く選ばれたのは、業務量でも納期でもなく「私生活のストレス」でした。この記事では、その研究が何を測り、何を測っていないかを整理します。AIの話は出てきません。また、これは診断のための記事ではありません。
1. 何を測った研究か──スウェーデンの15名と、14か国の76名
Martinez Montes、Penzenstadler、Feldt の3名(チャルマース工科大学/ヨーテボリ大学)が ACM TOSEM に発表した研究です。設計は二段構えで、まずスウェーデンで働くエンジニア15名に40〜75分の半構造化インタビューを行い(13名が対面、2名がオンライン)、そこで得た知見を確かめるために33問のサーベイを英語・スペイン語・ポルトガル語で配布しました。回収83件のうち有効回答は76名です。
「14か国」という数字は正確ですが、内訳はスウェーデン33名、メキシコ17名で、この2か国だけで全体の66%を占めます。日本からの回答者はいません。回答者のWell-being自己評価は「高い」38%、「良好」33%、「低い」8%で、「非常に低い」はゼロでした。おおむね元気な人たちが答えた調査だという前提は、あとで効いてきます。
2. ストレス源の1位は、仕事の外だった
サーベイでは、職場でWell-beingを脅かしている要因を複数回答で尋ねています。最も多かったのは「私生活のストレス」で、76名中47名。約62%です。2位は「高い業務量」の40名、3位は「厳しい納期」の35名でした。
この並びが示しているのは、業務量や納期が軽いということではありません。それらも十分に多い。ただ、本人が最も強く感じている負荷は、会社が普段ダッシュボードで見ている変数の外側にあった、ということです。インタビューでも、家族の世話や経済的な圧力といった私生活側の要求が、仕事の満足度まで含めて影響していると語られています。著者らは、組織の構造が柔軟な勤務時間や家庭のケア責任といった多様なニーズに対応できるようになっておらず、その結果、従業員は大きな個人的ストレスを抱えたまま高い生産性を求められている、と整理しています。
2-1. 逆の並びを示した研究もある
ただし、この順位をそのまま一般化することはできません。Graziotin ら(2017)は1,318名の開発者に「ソフトウェアを開発しているときに不幸を感じる原因」を自由記述で尋ね、219の要因に分類しました。頻度の上位は「問題解決で行き詰まること」186件、「時間的プレッシャー」152件、「コードの質やコーディング慣行の悪さ」107件で、「仕事と関係のない個人的な問題」は39件、上位10項目の最下位でした。上位10項目のうち7つは開発者の外側(プロセス・成果物・人)に分類され、著者らは、最も多い原因は開発者の外側にあり、だからこそマネージャーやチームリーダーが開発者の幸福に影響を与えられる現実的な余地がある、と結論しています。
二つの研究は逆向きに見えますが、問いが違います。Graziotin らは「開発している最中」の不幸を尋ね、Martinez Montes らは「職場でのWell-being」を脅かすものを尋ねました。作業中の苛立ちを数えれば仕事の中の要因が並び、生活全体を含めて重さを問えば仕事の外が浮上する。どちらも横断調査で、因果は主張していません。この記事は後者の問いの立て方に沿って読み進めますが、前者の並びも同じ現実の別の切り口だと考えています。
3. 尊重91%と、専門的支援64%のあいだ
もう一つ目を引くのが、承認と支援に関する項目のばらつきです。「尊重されている」と答えた人は91%、「意見が聞かれている」は79%。職場環境への満足は87%、報酬への満足は78%。冒頭の「会社に不満はない」という状態が、数字として並んでいます。
ところが支援の中身を分けると、一般的な支援は82%、個人的な支援は74%、専門的な支援は64%と段階的に下がります。尊重と専門的支援のあいだには27ポイントの差があります。居心地の良さと、成長の機会は別物です。エンゲージメントサーベイが「尊重されているか」「話を聞いてもらえているか」だけを測っていれば、この差は永久に見えません。測っていないものは、施策の対象にならないからです。
私自身、会社員だった頃を振り返ると、居心地の良さと「次の段階に進むための支援」を同じ軸で評価していた気がします。両方を分けて問われていれば、答えは違ったはずです。
4. では組織に何ができるか──私生活に踏み込まず、変動を吸収する
「私生活のストレスが1位なら、1on1で私生活を聞き出せばいい」という方向に行きたくなりますが、原著の含意はそこにはありません。Well-beingを高める要因のリストを1〜7位に順位づけしてもらったところ、平均順位が最も高かった(最重要に近かった)のは「柔軟な働き方」でした。1位として選ばれた回数が単独で最も多かったのは「個人のWell-being活動」で17回です。インタビューでは、ある参加者が「柔軟性と、その柔軟性に伴う信頼(原文: flexibility and the trust that comes with that flexibility)」が自分にとって本当に重要だと語っています。
組織にできるのは、私生活に介入することではなく、私生活の変動を吸収できる余白を制度として持つことだ、と読めます。ケアが必要な日に勤務時間を動かせるか、集中したい時間帯を自分で選べるか。要求と資源の記事で見た「裁量」という資源の、具体的な置き場所がここです。
4-1. 「柔軟にすれば良くなる」とまでは言えない
ただし、柔軟性が1位だったから柔軟にすれば良くなる、とは書けません。原著は横断調査であり、順位は回答者の重要度評価にすぎません。介入研究の側を見ると、Joyce ら(2010)の Cochrane レビューは、柔軟な働き方が健康とWell-beingに与える効果を10研究から検討し、シフトの自己スケジューリングや段階的退職のように労働者の裁量と選択を増やす介入は健康指標の改善と結びついた一方、フレックスタイムには有意な効果が見られず、有期契約や非自発的パートタイムのように組織側の都合で導入された柔軟性は効果が曖昧か負の方向だった、と報告しています。著者らは、エビデンスが部分的で方法論的にも限界があるため慎重に解釈すべきだと明記しています。
つまり分かれ目は「柔軟かどうか」ではなく「誰がそれを決めるか」です。離職意図の記事で組織的公正──決め方の公正さ──が最も強く効いていたのと、方向は揃っています。
5. この研究で言えないこと
数字を持ち帰る前に、限界を確認しておきます。有効回答76名は小規模で、国別比較や部分集団の議論には耐えません。インタビューは全員がスウェーデン在住で、著者ら自身が妥当性の脅威として、一般的なエンジニア集団を代表しない可能性を認めています。語りには wellness allowance(スウェーデンの健康手当)のような同国の制度が前提として混じります。回答者の多くがWell-beingを「高い」「良好」と評価している点も、消耗の深い層の声が届いていない可能性を示します。この記事の数値は、日本のエンジニアにそのまま当てはまる推定値ではなく、問いの立て方を変えるための材料として読んでください。
6. まとめ──個人開発者にとっての柔軟性は、自前で設計するもの
- 76名のサーベイでWell-beingを脅かす要因の1位は「私生活のストレス」47名(約62%)。業務量40名、納期35名を上回った(Martinez Montes et al.)
- 一方、1,318名に「開発中の不幸の原因」を尋ねた調査では仕事の中の要因が上位で、私生活の問題は10位(Graziotin et al. 2017)。問いの立て方で並びは変わる
- 尊重91%に対して専門的支援64%。27ポイントの差は、測っていなければ見えない
- 高める要因の平均順位1位は「柔軟な働き方」。ただし介入研究では、労働者が決められる柔軟性と組織都合の柔軟性で効果が分かれる(Joyce et al. 2010)
- n=76、スウェーデン・メキシコ偏重、横断調査。因果は言えない
私は個人事業主なので、柔軟性という点では最大値に近い位置にいます。勤務時間を決める人は自分しかいません。ただそれは、私生活の変動を吸収してくれる制度がどこにもない、という意味でもあります。会社なら人事制度が用意する余白を、自分で設計しなければならない。納期の手前に何も入れない日を置くか、稼働の上限を先に決めるか。そういう設計を怠ると、柔軟性はただの「いつでも働ける状態」に変わります。仕事とプライベートの境界を守る具体的なスキルは境界管理の記事に整理しています。
なお、原因が私生活側にあれ仕事側にあれ、気分の落ち込みや不眠が数週間続いているなら、原因の切り分けを自分で試みる前に医療機関に相談してください。厚生労働省の「こころの耳」では、働く人向けの相談窓口(電話・SNS・メール)が無料・匿名で案内されています。
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私たち Donut Service が開発した BrainSync Focus Timer は、VS Code・Cursor のステータスバーに常駐するタイマーです。25/5(ポモドーロ)と52/17(ロングブロック)を切り替えながら、エディタを離れずに集中と休息のリズムを整えられます。私生活の変動を吸収してくれる制度がない立場でも、一日のどこを集中に充て、どこで止めるかは自分で決められます。その「止める」側の設計を支える小さな仕組みとして作りました。
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※ 効果には個人差があります。本記事は医療助言ではありません。
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参考文献
- Martinez Montes, C., Penzenstadler, B., & Feldt, R. (2026). The factors influencing well-being in software engineers: A mixed-method study. ACM Transactions on Software Engineering and Methodology, 35(7), 1–38. doi:10.1145/3770074(DOI 登録 2025年10月。プレプリント arXiv:2504.01787(2025年4月)は “A Cross-Country Mixed-Method Study” の題)
- Graziotin, D., Fagerholm, F., Wang, X., & Abrahamsson, P. (2017). On the unhappiness of software developers. Proceedings of the 21st International Conference on Evaluation and Assessment in Software Engineering (EASE ’17), 324–333. doi:10.1145/3084226.3084242
- Joyce, K., Pabayo, R., Critchley, J. A., & Bambra, C. (2010). Flexible working conditions and their effects on employee health and wellbeing. Cochrane Database of Systematic Reviews, 2010(2), CD008009. doi:10.1002/14651858.CD008009.pub2
- 厚生労働省「こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト」